春なので、桜にちなんだ本をひとつ。
京都の造園屋「植藤」の当主・佐野藤右衛門さんのことば。
この本は、「桜守」として知られる佐野藤右衛門さんのことばを書きおこした1冊です。
京都の造園屋「植藤」では代々「藤右衛門」の名前が受け継がれており、現在の藤右衛門さんは16代目。
14代目から全国の桜の調査を始め、資料をまとめたり、貴重な桜を接ぎ木で残したり。いつしか「桜守」と呼ばれるようになったとか。
藤右衛門さんの語りは、桜の話・造園屋の話はもちろん、昔ながらの生活や知恵、自然と付き合う心得、未来の話まで多岐にわたります。
これがまた、読み返すたびにじわじわしみてくる。
園芸や植物に携わる仕事の人はもちろん、そうでない人も、藤右衛門さんの自然との付き合い方や昔話には、ハッとさせられること請け合いです。
ちょっと抜き書きしてみましょう。
桜を育てるのはちょうど子どもを育てるのと一緒ですわ。
人間の一生とも一緒やから、自分をよう振り返って、今後をどうするかということも、自分とよく問答して接していったらええいうんです。それなのに大きい桜を植えて、はよう花を見たいというから、早う枯れるんですわ。今、楽しんでいるものは一世代前の人が育ててくれた桜を今の人が楽しんでいるのやからね。
つくった庭というのはずっと見てやらなあきませんわ。手入れをするからあきまへんのや。守りをせなあきまへんのやわ。(略)
自然保護とか言うてる人間は、今あるものを保護するのやから辛抱がないですわ。木は寿命があって、なくなっていくんです。そういうのは保護のしようがあらへん。こういうことは守りをしていたらわかるんです。自然は、相手を知って、守りをするしかないんです。
木や草は季節のものやから、やらないかんときと、やってはいかんときがあります。
だから、その時期に合わせて仕事をし、休んでいいときに行事があったんです。(略)それが今は、週四十時間とかいうアホなことをしてしもうてから、リズムが噛み合わないようになりましたなあ。
木を植えて育てるのは技術ではないんですわ。相手を知り尽くさんことには、その手立てができませんのや。(略)
庭作りはそうやって一年かけるのが一番いいんです。四季をうまく利用していたんですのやけど、今はおかしいなりました。
曜日を決めて、四季をいわんようになってしもうたからね。こうやって自然や四季を無視して過ごしていたら、動物的な本能が退化していきよるんですわ。
うーん、いちいちぐっときます。
ほかにも、職人が育たなくなった背景、自然に還る素材でないものを使うようになったことの弊害、などなど…藤右衛門さんはバシバシ斬る。
すべてが昔に帰れるわけではないと思うのだけど、人間が動物として植物と付き合うとき、忘れてはいけないことはあるよなあ、と身に沁みます。
特に、花や園芸の仕事に携わっている人には、大事なことがいっぱいつまっている1冊。
テキストは藤右衛門さんの語りを聞き書きした形式なので、おじいさんの話を聞いているように読めるのもよいです。
桜の季節に是非。藤右衛門さんの庭もいつか見に行ってみたいなあ。