先日「ナリワイをつくる」著者の伊藤洋志さんの講演会に行ったのですが、そのとき印象的だったフレーズに注目してみます。
「人生を盗まれる」というフレーズ
本のサブタイトルにもなっている「人生を盗まれない働き方」。
ちょっとドキっとする響きだからか、気になる人が多いようです。講演会の質疑応答でも、「すでに人生を盗まれてしまった80代です…」なんておっしゃる方もいました。
(それに対し伊藤さんは、自分だって今も盗まれていないとは言えませんが…と非常に低姿勢にお答えになっていました)
本を読めばわかるけど、こんな働き方をしてると人生を盗まれてしまうよ!ということを書いた本ではありません。おそらく本のタイトルなので、やや衝撃的な響きの言葉が選ばれたのではないかしら。
それをふまえたうえで、どうして「人生を盗まれた!」と思ったのかという話。
会社員時代、毎日多忙でストレスを抱えながら働いていた伊藤さんは、一年働いたのに全然お金がたまっていないことにびっくりしたと言います。
忙しくてほとんど寝に帰るだけの部屋に家賃を払う。ストレス解消のために散財してしまう(ハーゲンダッツを食べないと寝れなくなったという話が印象的)。
休日は疲れを取るために温泉や岩盤浴に行ってお金を使う。それでも日々の忙しさから体調がよくない。
また、忙しいあまり新しい友達もほとんどできない。
そんな生活を一年続けて、いろいろ無理をしているはずなのにお金もさほど貯まっていないことに気づき、「オレの一年盗まれたやん!」と思ったといいます。
人生を盗まれるってどういうこと?
ストレスをためて働いたお金が、ストレスを解消するために消えてゆく。
働いても体調もよくならない。友達や新しい交流もうまれない。
仕事ってそんなもんだよ、と思ってしまえばそれまでだけど、よく考えるとおかしな話です。
本来、楽しく生きるために仕事をするんじゃないのか。
仕事をすればするほど、身体や頭が鍛えられていいんじゃないのか。新しいつながりがうまれていいんじゃないのか。
そもそもストレスをためるような働き方をしなければ、そんなに支出することもないんじゃないのか。
おかしいな、と感じる若い人は年々増えていると思います。
サラリーマン時代はそれなりに年収があったはずなのに、ストレス解消のための浪費を繰り返してしまった。それでも処理が間に合わず、心身ともにパンクして鬱と不眠を患いながら脱サラしたけど、手元に残った貯金はほんの少し。本当に何もかもが不健康極まりない働き方だった。逃げるのは早いほうが良い
— ぴーすけ(東直希) (@pskpsk1983) 2017年3月24日
会社がつくったペースにのせられて働き、他人の価値観にのせられて散財し、手元にはお金もつながりも健康も残らない。
自分のペースで生きられていない。なんのためにどれくらい働くのかを、自分でコントロールできない。
それが「人生を盗まれている」状態なのではないかしら。
(会社がつくったペースで働き、社会の価値観に合わせてお金を使っても60歳まで我慢すれば大体の人が報われたのが、高度経済成長というボーナスタイムだったわけです。当然ながら今は当時と状況が違うので報われない人も多いし、若い人が疑問をもつのは当たり前ですね)
誰が「盗んでいる」のか
「人生を盗まれる」と言うとき、いったい「誰が」盗んでいるのか。答えはたぶんひとつではないのでしょう。
会社かもしれないし、社会かもしれないし、自分自身の中にある価値観かもしれません。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる時間どろぼうのようですね。
盗んでいる「誰か」を倒すのは容易なことではありません。そもそも敵はひとつじゃないかもしれないのだし。
大事なのは「盗まれているかも?」と気づいて、小さくても行動していくこと。逃げ出すのも上等です。
盗んでいる誰かを攻撃するより、自分の人生を少しでも納得できるように修正していくこと。
伊藤さんが提唱する「ナリワイをつくる」ことは、自分で自分の人生を取り戻す、ということなのかもしれません。
というわけで、これは非バトルタイプのための地味な戦略書です。
人生盗まれてる疑惑がある人は是非。