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『メアリと魔女の花』が教えてくれる、魔法より本当に大切なチカラとは。

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米林宏昌監督の最新作『メアリと魔女の花』が公開されました。スタジオジブリ退社後、スタジオ・ポノックとしての長編第1作目です。

米林監督といえばジブリ時代は『借りぐらしのアリエッティ』や『思い出のマーニー』を監督した人。

いつも私の好みどんぴしゃなので、今回も大いに期待して映画館へ足を運びました。

 

 

予告編

 

「メアリと魔女の花」公式サイト

 

『メアリと魔女の花』ストーリーと見どころ。

11歳の赤毛の少女・メアリは森で不思議な花を見つける。

それは一晩だけ魔女の力が得られる「魔女の花」だった。森で見つけた古いほうきに乗り、連れられて着いたところは魔法大学。

校長や博士に魔女の力を絶賛され、まんざらでもないメアリ。

 

ところがそれが「魔女の花」のおかげだと知ると、校長の目の色が変わる。

魔女の花はかつて魔法大学からとある魔女によって持ち去られたもの。校長と博士は、その絶大な力を魔法実験に使用し、大きな力を得ようとしていたのだった。

 

メアリの小さな嘘により巻き込まれてしまった友人・ピーター。魔女の花をメアリから奪った校長と博士は、ピーターを実験台に魔法実験を進めようとする。

ピーターを救うため、メアリはふたたび魔法大学へ。

 

校長と博士がやろうとしている魔法実験とは?

かつて魔女の花を持ち出した魔女の正体とは?

 

一晩だけの魔女の力を使って、友人を救うためメアリの冒険が始まる。

 

ジブリで育った世代にはたまらない「ジブリ感」たっぷり。

「猫につれられて森の中へ」「ほうきに乗って追っ手から逃れる」「異世界へ迷い込む」など、のっけからジブリ色満載。

魔法大学の校長が出てきたとき、「これは湯婆婆だ…」と思ったのは私だけではないはず。

冴えない女の子が冒険を通して成長する、というテーマは「千と千尋の神隠し」に近いものを感じます。

ジブリ色満載なことについては賛否あるようですが、米林監督とプロデューサーの西村義明氏はジブリから独立した二人ですし、スタッフも8割がたジブリ出身というのだから当然です。

ジブリと比べてどうの…というのは野暮というもの。純粋にアニメの世界を楽しめばよろしい。

 

ストーリーはシンプルでわかりやすく、「魔法」というファンタジー、わくわくドキドキの冒険エンターテイメント。

メアリの住むのどかな村や、霧に包まれた森、カラフルな魔法大学の描写など、美しい背景画はジブリアニメを彷彿とさせ、大人も子供も楽しい気分になること間違いなし。

そして観終わってみれば、思いのほか深いテーマを突き付けられた…とオトナは思うのではないかしら。(これについては次項で)

もう一つのお楽しみは、豪華な声優陣。

元気いっぱいのメアリは杉咲花、ピーターは神木隆之介というテッパンのふたり。

魔法大学の校長には天海祐希、魔法実験に固執する博士には小日向文世。このふたりは物語の裏の主役であるといっても過言ではないでしょう。(こんなところでキントリペアが見られるとは…!)

物語のキーを握るメアリの大叔母・シャーロットに大竹しのぶ、ミステリアスな魔女に満島ひかり。

どのキャストもぴたりとハマっていて、違和感なく楽しめました。

(お手伝いさんが渡辺えりだったのだが、んもう出てきた瞬間から渡辺えりにしか見えなくて笑いました)

 

物語が伝えようとする「魔法の力」とは。

子供たちにとってファンタジーは夢の世界。

読み終わって(観終わって)「あー面白かった!」で終わるものですが、良質なファンタジーというのは教訓やテーマを秘めているもの。

「モモ」から時間をコントロールできない怖さを、「トトロ」から異種の生物への敬意と自然の大切さを。

私たちはいつだって、ファンタジーに大切なことを教わってきたのだよ。

 

で、今回の「メアリ」が突きつけてくるテーマは、

『人間が扱いきれない力』

『物事を変えるのは魔法ではなく、自分の行動と勇気』

であります。

 

原子力発電へのメタファー。

最後の魔法実験が暴走し失敗するシーンは、完全に原子力発電所のメルトダウン。

「この世界には私たちには扱いきれない力があるのよ。それをあの人たちはわかっていない」

というセリフにすべてがこめられています。

みんなが夢見た「魔法の力」=「原子力」。でもそれが制御できなくなったとき、すべてを失う可能性もあるということ。

 

本当の力は「魔法の力」ではない。

現実世界で落ちこぼれのメアリは、魔法の力を手に入れ魔法学校でほめそやされ、まんざらでもない気分になります。

メアリはそもそも魔女ではありません。あくまで普通の女の子。

物語の前半では「私だって変わりたいって思ってるんだから!」とピーターに声を荒げるシーンもあります。

ところが魔法の力の怖さを知り、自分の力で困難を乗り越えピーターを助け出し、最後には「魔法なんていらない」「私にはもう必要ない」と言うまでになる。

困難に立ち向かうのに必要なのは魔法ではなく、自分の勇気と行動だと気づくのです。

 

20世紀の魔法はもはや通用しない。

また、米林監督はこの作品についてこう語っています。

これからの時代を生きていく子どもたち、20世紀の魔法がもはや通じない世界で生きる僕たち自身の物語だと思っています。

 

魔法実験のシーンでは「魔法=原子力」を想像しましたが、「魔法」とはもっと幅広く色々なものに置き換えられるのかもしれません。

これさえ手に入れれば、夢の力だ…!とみんなが思っていたもの。みんなが夢見ていたもの。

 

「20世紀の魔法がもはや通用しない時代」という言葉からは、いままでの価値観の転換、自分の頭で考え行動していくことへの覚悟を感じます。

 

 

主題歌はセカイノオワリ「RAIN」

最後に追い打ちをかけるのはエンディングで流れるセカイノオワリ「RAIN」。

 

「魔法は いつか 解けると 僕らは知ってる」

から始まるこの歌は、セカイノオワリがこの映画のために書き下ろした一曲。

やさしく、つよく、物語の余韻を包み込みます。いやあ、セカオワやっぱすごいです。

 

『メアリと魔女の花』まとめ。

子供から大人まで純粋に楽しめるエンターテイメント作品だと思います。米林監督の中では今までの中で一番好きだな。

「あー面白かった!」と思った後に、自分にとっての魔法の力ってなんだろう、現代社会の魔法の力ってなんだろう、とじわじわ考えさせられる一作。

ぜひ、大人も子供と一緒に!観に行ってほしいなと思いました。

 

 

原作は、メアリ・スチュアート著「The Little Broomstick」。

1971年英国で出版された本。今回の映画化に合わせて新訳版が出ています。