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黒沢健一さんとL⇔Rと私。

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まさかの訃報に呆然。
2016年12月5日、黒沢健一さんが亡くなりました。

黒沢健一オフィシャルサイト

 

今年はL⇔Rのデビュー25周年だった。
といっても、L⇔Rが活動休止してから19年。実質L⇔Rとして活動してたのは1992年から1997年までだけれど。

私がL⇔Rと出会ったのは、1994年頃だと思う。ポリスターからポニーキャニオンに移ったあと。嶺川貴子ちゃんが抜けて、3人組になってからだ。

まだ中学生でライブなどに行けなかった私は、近所のレンタルCD屋を自転車でまわり、過去のアルバムをひとつひとつさかのぼって聴いていた。ポリスター時代(まだブレイクしてなかったころ)のアルバムを探すのはけっこう大変だった。

当時のJポップは、ミスチルやスピッツやウルフルズ、ビジュアル系バンド、TKサウンドが全盛の頃。私の交友範囲の中にはL⇔Rファンはひとりもいなかった。

バンド雑誌や音楽雑誌の巻末には「バンドメンバー募集」や「文通相手募集」の欄があって、それをたどるようにして遠くのL⇔Rファンと文通をしていた。

地方局でしかやっていないラジオをカセットテープに録音して送ってもらい、その感想を手紙でやりとりする。雑音だらけのカセットテープ。イヤホンを耳に押し付けるようにして、何度も何度も聞いた。

mixiもTwitterもFacebookもない。YouTubeもない。Amazonもヤフオクもない。
今では信じられないくらいだけど、マニアックなバンドを好きになってしまった人は、そうやって人とつながり情報を得るしかなかった。radikoで全国のラジオが聞けるようになるなんて、夢にも思っていなかった。

会ったこともない人たちだったけど、驚くほど筆まめに、たくさん手紙をやりとりした。
きっと向こうも、周りにファンがいなかったのだろう。世間的にヒット曲は1曲しか知られていないけど、好きな人はとことんのめり込む、L⇔Rはそんなバンドだった。

高校生になってようやく自由に行動できるようになった頃、L⇔Rは活動を休止した。
LR最後のアルバムになった「Doubt」ツアーが、私が人生で初めて行ったライブだった。(たしか赤坂ブリッツだった)

せっかくライブに行けるようになったのに!!
悔しくて過去の作品にのめりこんだ。軽音楽部に入ってバンドをはじめたのもその影響。
部活内にひとりだけL⇔R好きな先輩がいて、周辺のアーティストのCDを貸してくれたりした。

ミーハーだった私はベースの木下さんが好きで(黒沢兄弟より背が高くてかっこよかった)、L⇔Rのベースばっかり練習していた。結局部活内でコピーバンドはできなくて(やってくれる人がいなくて)文化祭ではJUDY AND MARYとかGLAYとかをやった気がする。

L⇔Rの曲を演奏したい欲にかられた私は、当時出始めたばかりのインターネットに頼った。
まだ掲示板とかチャットルームしかなかった時代。バンドメンバー募集の掲示板を頼って、ベースを募集しててL⇔Rをやってくれそうな人を探した。

そこで知り合った20代のお兄さんたちのバンドに混ぜてもらい、車でスタジオに連れていってもらい、L⇔Rの曲をセッションしたりした。
今思えば10代の小娘がなんて危ないことを!と思うけれど、バンドのお兄さんたちはいい人で優しくて、L⇔Rのアルバムをわざわざ買って練習してくれたりした。

あのタイミングでインターネットが出てきてよかった。
学校内であまり気の合う人を見つけられなかった私は、インターネットとL⇔Rに救われた。

その後大人になってからmixiが登場し、同じ趣味の人が簡単に見つけられるようになり、L⇔Rファンの知り合いも増えた。
私は本当に後期からファンになったので、L⇔Rファンの人たちの中ではいつも一番年下で、スタジオでセッションしたりカラオケにいったり誰かが企画したパーティ(L⇔Rだけをひたすら流すクラブイベントとか)に行ったり、みんなのうしろにくっついて遊んでもらった思い出がいろいろある。

 

バラバラになった後のL⇔Rは、ソロ活動をしたりユニットを組んだり活動をしていたけれど、私は途中で追いきれなくなって離れてしまった。
iPodの中にはL⇔Rの全アルバムと、黒沢健一のソロアルバムが3枚入っているのみ。

それでも飽きることなく、繰り返し繰り返しそれを聴いていた。気づいたら最初にL⇔Rに出会ってから20年。

訃報を聞くことになった日の朝も、通勤時間にふつうに聴いていた。ちょっと元気を出したかったから、ライブレコーディングのやつ。

彼がいなくなって、L⇔Rは黒沢健一そのものだったなと思う。大人になってから、ソロアルバムの良さもじわじわ感じていた。そう、私は彼のつくるメロディが本当に好きなんだ。

健一くんの曲を全曲聞いてるわけでもない私は、ダメなファンだろうと思う。ほかのアーティストに提供した楽曲もふくめたら、まだ聞いていない曲が山ほどある。
それでも、黒沢健一の曲は私の生活の、身体の一部だ。

健一くんはもういないけれど、私の楽しみはまだまだ尽きない。聞いていない曲をひとつずつさかのぼって聞かなくちゃ。あの頃のように。L⇔Rのアルバム7枚だけで20年も飽きずに楽しんでいるんだから、先は長い。

もっと作りたい曲があったかもしれない、やりたいことがあったかもしれない。
そう思うととても悲しいけれど、こんなにたくさんの作品がのこっている。私はたぶん、死ぬまで音楽には困らない。

悲しくてしばらく健一くんの曲は聞けないんじゃないか…と思ったけど、聞いてみたらやっぱりいい曲でいい声で、いつもどおりポップで明るくて、楽しそうに歌ってる姿しか思い出せなかった。

たくさんの素敵な曲と楽しい時間をありがとう。これからも大切に聞こうと思います。

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